勉強することの意味
夜21時のスターバックス。
僕と妻は勉強中。(と言っても僕はこのブログを書いているだけなんだけど。)
妻は来月に控えた大学院の入試のために必死で過去問題を解いている。
さて、左隣には大学生ぐらいの女子3人グループ。
何をやっているかっていうと、ひたっすらに自撮りの練習。
角度がどーだ、加工がどーだ、アヒル口で映っているか、などなど。研究に余念が無い。
どうやら石原さとみの雰囲気をどうやって出すことができるかが、彼女たちの中で大きなプライオリティを占めているようだ。
たしかにかわいいよね。石原さとみ。
しかし騒がしい女の子達だ。痺れを切らした妻が注意しに行く。
「あっ、すいませーん」
一時的には反応して謝ってくれる。悪い子たちではない。しかしまたしばらくすると、段々と騒がしくなってくる。
「やばーい、虚ろな目の感じが出せてない!」
「アヒル口にならなーい!」
ふと、僕は思った。
このカフェに並んで座っている妻、僕、女の子達の中で、その場を1番楽しんでるのは誰なんだろう。「今」自分がやっていることにハマっているのは誰なんだろう、と。
周りが気にならないぐらい自撮りに熱中して、いかに可愛く、そして盛れてる写真が撮れるかに集中しきっている彼女らの熱量に勝てるだろうか。そのぐらいのめり込めるもの、自分は今持っているだろうか。
確かにちょっと周りには迷惑な会話のボリュームだけど、あの子たちは精一杯「今」を楽しんでいる。
こんな姿勢、自分も見習っていかないとな。
昔話で盛り上がってる人たちを見ると本当に生産性無いなと思ってしまう。
でもこんな風に今を楽しんでる人は、やかましいなと思いつつも少し羨ましい。
さてと。帰ろう。